宣城郡

宣城郡(せんじょう-ぐん)は、中国にかつて存在した。晋代から唐代にかけて、現在の安徽省南部に設置された。

概要

281年(太康2年)、西晋により丹陽郡を分割して宣城郡が立てられた。宣城郡は揚州に属し、宛陵県に郡治を置いた[1]。晋の宣城郡は宛陵・宣城陵陽安呉臨城石城春穀広徳寧国懐安の11県を管轄した[2]

南朝宋のとき、宣城郡は宛陵・広徳・懐安・寧国・宣城・安呉・涇・臨城・広陽・石城の10県を管轄した[1]484年永明2年)、宣城郡は南豫州に転属した。

南朝斉のとき、宣城郡は広徳・懐安・宛陵・広陽・石城・臨城・寧国・宣城・建元・涇・安呉の11県を管轄した[3]

589年開皇9年)、が南朝陳を滅ぼすと、宣城郡は廃止されて、宣州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、宣州が宣城郡と改称された。宣城郡は宣城・涇・南陵秋浦永世綏安の6県を管轄した[4]

620年武徳3年)、唐が杜伏威を平定すると、宣城郡は宣州と改められた。742年(天宝元年)、宣州は宣城郡と改称された。758年(乾元元年)、宣城郡は宣州と改称され、宣城郡の呼称は姿を消した[5]

脚注

  1. ^ a b 宋書』州郡志一
  2. ^ 晋書』地理志下
  3. ^ 南斉書』州郡志上
  4. ^ 隋書』地理志下
  5. ^ 旧唐書』地理志三
晋朝の行政区分
西晋
司州
豫州
兗州
青州
徐州
冀州
幽州
平州
并州
雍州
涼州
秦州
梁州
益州
寧州
荊州
揚州
湘州
江州
広州
交州
東晋
揚州
徐州
北徐州
兗州
豫州
北青州
司州
北雍州
荊州
江州
梁州
益州
寧州
広州
交州
隋朝の行政区分
 
606年大業2年)以前(州制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
 
607年大業3年)以後(郡制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区