霊州

霊州(靈州、れいしゅう)は、中国にかつて存在した。南北朝時代から民国初年にかけて、現在の寧夏回族自治区銀川市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

436年太延2年)、北魏により薄骨律鎮が置かれた。526年孝昌2年)、薄骨律鎮が霊州に昇格した[1]

隋代

初には、霊州は4郡4県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、霊州の属郡は廃止された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、霊州は霊武郡と改称された。同年のうちに環州が管轄する鳴沙県が編入され、霊武郡は下部に6県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
霊州 霊武郡
普楽郡 臨河郡 懐遠郡 歴城郡 回楽県 霊武県 懐遠県
弘静県 豊安県 鳴沙県
回楽県 臨河県 懐遠県 建安県

唐代

618年武徳元年)、により霊武郡は霊州と改められた。742年(天宝元年)、霊州は霊武郡と改称された。758年(乾元元年)、霊武郡は霊州の称にもどされた。霊州は関内道に属し、回楽・霊武・懐遠・保静・鳴沙・温池の6県を管轄した[3]

宋代

1002年咸平5年)、李継遷が霊州を奪い、西平府と改められた[4]1063年拱化元年)、西夏により西平府に翔慶軍が置かれた。

元代

1227年モンゴル帝国が西夏を滅ぼすと、西平府は霊州の称にもどされた。元のとき、霊州は寧夏府路に属した[5]

明代

1370年洪武3年)、により霊州は廃止された。1383年(洪武16年)、霊州守禦千戸所が置かれた。1428年宣徳3年)、霊州守禦千戸所の治所は新霊州城に移転した。1500年(弘治13年)、霊州守禦千戸所は霊州直隷州と改められた。霊州直隷州は陝西省に属し、属県を持たない散州となった[6]

清代以降

1725年雍正3年)、により霊州は寧夏府に転属し、属県を持たない散州となった[7]

1912年中華民国により霊州は廃止され、霊武県と改められた。

脚注

  1. ^ 魏書』地形志二上
  2. ^ 隋書』地理志上
  3. ^ 旧唐書』地理志一
  4. ^ 宋史』外国伝二
  5. ^ 元史』地理志三
  6. ^ 明史』地理志三
  7. ^ 清史稿』地理志十一
隋朝の行政区分
 
606年大業2年)以前(州制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
 
607年大業3年)以後(郡制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
唐朝の行政区分 (740年 開元28年)
京畿
関内道
都畿道
河南道
河東道
河北道
山南西道
山南東道
淮南道
江南東道
江南西道
隴右道
河西道
剣南道
黔中道
嶺南道
明朝の行政区分
 
陝西布政司
山西布政司
山東布政司
河南布政司
浙江布政司
江西布政司
湖広布政司
四川布政司
広東布政司
広西布政司
福建布政司
雲南布政司
貴州布政司
交趾布政司
  • 交州府
  • 北江府
  • 諒江府
  • 三江府
  • 建平府
  • 建昌府
  • 新安府
  • 奉化府
  • 清化府
  • 鎮蛮府
  • 諒山府
  • 新平府
  • 乂安府
  • 太原府
  • 順化府
  • 宣化府
  • 昇華府
  • 演州
  • 嘉興州
  • 帰化州
  • 広威州
  • 寧化州
 
その他