茂木草介

もぎ そうすけ
茂木 草介
プロフィール
誕生日 (1910-01-01) 1910年1月1日
出身地 大阪府大阪市西区
死没日 (1980-07-14) 1980年7月14日(70歳没)
主な作品
テレビドラマ 『太閤記』(1965年)
『樅ノ木は残った』(1970年)
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茂木 草介(もぎ そうすけ、1910年1月1日 - 1980年7月14日)は、日本脚本家。 日本放送作家組合会員、日本演劇協会会員。本名、宮崎一郎[1]

人物

大阪府大阪市西区生まれ。

幼少時代は船場の空気を吸って育ち、それが後年の代表作などに生かされることとなる。同志社大学中退。会社員時代から書き出し、戦前のサンデー毎日の小説賞を受賞して作家生活に入る。戯曲を数多く手掛け、ラジオドラマの放送作家として、多くの脚本を執筆して活躍。テレビ放映開始時には在阪各局のドラマを数多く手掛け、一躍売れっ子ライターとなる。

1961年に『執行前三十分』(朝日放送)で第1回モンテカルロ・テレビ祭演出・脚本部門最優秀賞、同年『釜ヶ崎 (テレビドラマ)』(朝日放送)で芸術祭大賞文部大臣賞、1962年『道 - ある技術者の半生』(東海テレビ)で芸術祭奨励賞、1969年『時のなかの風景』(NHK)で芸術祭優秀賞。

NHK大河ドラマ『太閤記』(1965年)『樅ノ木は残った』(1970年)などの脚本も担当し、関西在住の関西派のシナリオ作家として重きをなした。

下層の庶民を描くことを得意とした。『みだれがみ』は与謝野晶子を描いたもの。『けったいな人びと』は、自ら『大槌家の人びと』として小説化した。

主な脚本作品

テレビドラマ

  • 部長刑事 第32回「非番」(1959年、大阪テレビ
  • 東芝日曜劇場 / 執行前三十分(1960年、朝日放送)※モンテカルロ・テレビ祭演出・脚本部門最優秀賞
  • NECサンデー劇場 / 裁きの果て(1960年、毎日放送)※芸術祭参加
  • 東芝日曜劇場 / 三婆(1961年、TBS
  • ナショナル日曜観劇会 /釜ヶ崎 (テレビドラマ)(1961年、朝日放送)※芸術祭大賞と文部大臣賞
  • 道 - ある技術者の半生(1962年、東海テレビ)※芸術祭奨励賞
  • 大河ドラマ / 太閤記(1965年、NHK)
  • 松本清張シリーズ / 遠くからの声(1966年、関西テレビ
  • 横堀川(1966 - 67年、NHK)
  • みだれがみ(1967 - 68年、NHK)
  • テレビ文学座 -名作に見る日本人- / 坊つちやん(1968年、毎日放送)
  • 流れ雲(1968年 - 1969年、NHK)
  • 時のなかの風景(1969年、NHK)※芸術祭優秀賞
  • 大河ドラマ / 樅ノ木は残った(1970年、NHK)
  • 女徳(1971年、毎日放送)
  • 女人幻想(1972年、NHK)
  • けったいな人びと(1973年 - 1974年、NHK)
  • 国境のない伝記 クーデンホーフ家の人びと(1973年、NHK)
  • 続けったいな人びと(1975年 - 1976年、NHK)
  • 銀河テレビ小説 / 女の一生(1977年、NHK)
  • 埴生の宿(1978年、NHK)
  • 極楽日記(1980年、NHK)

映画

著作

  • 茂木草介放送ドラマ集(1959年、創元社)
  • ボロボロ人生の唄 釜ケ崎物語(1964年、秋田書店「サンデー新書」)
  • みだれがみ(1967年 - 1968年、東京文芸社)
  • けったいな人びと 1-3(1973年 - 1974年、日本放送出版協会)
  • 大槌家の人びと(1974年、日本放送出版協会)
  • 埴生の宿(1978年11月、日本放送出版協会)

外部リンク

  • 茂木草介 -- 西宮文学回廊 (作家略歴)

脚注

  1. ^ 茂木草介『出身県別 現代人物事典 西日本版』p1019 サン・データ・システム 1980年
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