直隷省 (中華民国)
中華民国 直隷省 | |
← 1913年 - 1928年 → | |
簡体字 | 直隶 |
繁体字 | 直隷 |
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拼音 | Zhílì |
カタカナ転記 | ヂーリー |
国家 | 中華民国 |
行政級別 | 省 |
政府所在地 | 保定県(〜1914年) 天津県(1914年〜) |
建置 | 1912年 |
改編 | 1928年 |
面積 | |
- 総面積 | km² |
人口 |
直隷省(ちょくれいしょう)は、中華民国建国初期に存在した省。現在の河北省の一部に相当する。
地理
直隷省の管轄区域は2度にわたる大きな改革を経ている。1914年(民国3年)1月の北部14県が熱河特別区域及び察哈爾特別区域に移管され、同年5月に順天府地域が京兆地方として分離されたことで行政範囲が確定した。
歴史
辛亥革命により中華民国が成立したが、直隷省は清朝の実効支配下におかれていた。1912年(民国元年)3月、北京政府が成立に伴い直隷省も中華民国政府の行政権が及ぶようになり、清代の地方長官官職名であった直隷総督は直隷都督に改称された。1913年(民国2年)の『劃一現行各省地方行政官庁組織令』により民政長が新設され、民政部門を分離した行政機構が成立、1914年(民国3年)5月には民政長は巡按使と改称され、その下部に政務、財務、建設等の庁が設置された。1916年(民国5年)に巡按使は省長と改称、1928年(民国17年)6月に河北省に改編され直隷省は消滅した。
省会
当初は保定県に設置されたが、1914年(民国3年)に天津県に移転している。
行政区画
道制
1912年(民国元年)に直隷省内でには天津道、大広順道(12月廃止)、通永道(12月廃止)、熱河道(12月廃止)、口北道の5道が設置され、その下部に115の庁、州、県を管轄した。1913年(民国2年)2月、省内に保道、易道、定道、深道に改編、後に渤海道、范陽道、冀南道、口北道と、さらに翌年には津海道、保定道、大名道、口北道と改称されている。
1913年(民国2年)5月には熱河道の一部に朝陽道、及び赤峰道を設置する計画があったが、この計画は実施されていない。1928年(民国17年)、南京国民政府が成立すると道制は廃止された。
県
河北省に改編される直前の県は下記の通り。(50音順)
脚注
関連項目
前の行政区画 直隷省 | 河北省の歴史的地名 1913年 - 1929年 | 次の行政区画 河北省 |
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台湾地区の行政区画 (1955年2 - 現在) |
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大陸地区を含む全領域(中国語版)の行政区画4 (1912年 - 2005年5) |
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各行政区画が属する区域についてはTemplate:中国地理大区を参照のこと。 1 北京政府、または国民政府・中華民国政府が中央政府機構を1年以上設置した実績のある都市。なお、1925年 - 1928年は北京政府と国民政府の並立期間。 2 国共内戦(大陳島撤退作戦)にともない中華民国政府の実効支配地域が変更された最後の年。 3 行政改革によって行政機関としての機能は2018年までに消滅。ただし、中華民国憲法と中華民国憲法増修條文の上では廃止されていない。 4 この行の記載は、行政院新聞局が2005年に刊行した「中華民國九十四年年鑑」に基づく。 5 「中華民國九十四年年鑑」が刊行された年。これ以降、中華民国政府は大陸地区の範囲・行政区分に関する公告を発表していない。 6 全域が台湾地区に属する。 7 金馬地区が台湾地区に、それ以外の地区が大陸地区に属する。 8 モンゴルの独立を承認したため、1946年に廃止。その後モンゴルの独立承認を取り消したため、1953年に復活(詳細は台蒙関係を参照)。 |