金剛流

金剛能楽堂、京都市上京区

金剛流(こんごうりゅう)とは、日本の伝統芸能である能楽のうち、のシテ方の流派の一つである。現在の宗家は金剛永謹

概要

金剛流発祥之地碑(龍田神社境内)

法隆寺に仕えた猿楽座である坂戸座を源流とする流派で、室町初期の坂戸孫太郎氏勝を流祖とする。六世の三郎正明から金剛を名乗る。華麗・優美な芸風から「舞金剛」、装束や面の名品を多く所蔵することから「面金剛」とも呼ばれる。

豪快な芸風で知られた七世金剛氏正は「鼻金剛」の異名を取り、中興の祖とされる。しかし、室町から江戸期においては他流に押されて振るわず、五流(観世宝生金春・金剛・喜多)の中で唯一独自の謡本を刊行することがなかった。江戸初期に金剛流から喜多流が分派している。江戸中期の米沢藩では8代藩主上杉重定が金剛流を長く愛好していた。安永7年(1778年)、9代藩主上杉治憲(上杉鷹山)は当時宗家の金剛三郎を隠居していた重定の元に招いている。これ以後、米沢藩士のあいだにも金剛流が広がったという。現代でも、京都を拠点とする金剛流で、東京以北に流派の団体があるのは米沢だけである。

幕末から明治にかけて活躍した金剛唯一は『土蜘蛛』の千筋の糸を考案したことで知られる。幕末には江戸の芝飯倉に在住していた。江戸時代の石高は100石。

1936年金剛右京の死去により、坂戸金剛家は断絶。翌1937年、他の四流の家元の推薦により、弟子家筋である野村金剛家(京都金剛家)の名人で関西能楽界の重鎮として知られていた金剛謹之輔の子・初世金剛巌が金剛流家元となり、宗家を継承。以降の名人としては、豊嶋弥左衛門、二世金剛巌らがいる。現在の宗家は、1998年9月18日に金剛流二十六世宗家を継承した金剛永謹である。

シテ方五流の宗家の中で唯一京都在住であり、金剛能楽堂を所有している。

所在地:京都市上京区烏丸通中立売上ル 金剛能楽堂 (座席数 定席412席、補助席80席)

宗家代々

  • 十四世 金剛緑勝
  • 十五世 金剛長頼
    • 十四世の子。
  • 十七世 金剛弥市久則
  • 十八世 金剛三郎氏福
    • 十七世の長男。
  • 十九世 金剛氏但
    • 十七生の次男、のちに兄の十八世の養子。
  • 二十世 金剛三郎氏栄
  • 二十一世 金剛唯一
    • 二十世の次男。
  • 二十二世 金剛氏善
    • 二十一世の長男。
  • 二十三世 金剛右京
    • 二十二世の長男。
  • 二十四世 初世金剛巌
  • 二十五世 二世金剛巌
    • 二十四世の三男。
  • 二十六世 金剛永謹
    • 二十五世の長男。

その他

  • 金剛流の能舞は、京舞井上流に影響を及ぼしているとされる。井上流の演者を家族に持つ能楽師も所属している[1]

脚注

  1. ^ 『能楽 世阿弥・観阿弥 名作集 金春流「高砂」金春信高/金剛流「清経」廣田陛一』、NHKエンタープライズ

参考文献

  • 松田存著『能・狂言入門』文研出版、1976年。

関連項目

外部リンク

  • 公益社団法人 能楽協会
  • 金剛能楽堂
金剛流能楽師
  • 金剛龍謹公式ウェブサイト 金剛龍謹
  • 今井克紀の電能舞台 今井克紀
  • 廣田鑑賞会 廣田幸稔
  • udaka tatsushige official - ウェイバックマシン(2018年11月5日アーカイブ分) 宇高竜成
  • 潤星会 - ウェイバックマシン(2010年1月1日アーカイブ分) 山田純夫
典拠管理データベース: 国立図書館 ウィキデータを編集
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