石井道子

石井 道子(いしい みちこ、1933年2月5日 - 2012年12月7日)は、日本政治家位階従三位

自由民主党所属の元参議院議員。元環境庁長官。旧姓は斎藤。

来歴・人物

埼玉県所沢市出身。父は自由民主党元埼玉県議会議員で元埼玉県議会議長の斎藤徳次郎。1956年東京薬科大学卒業。大学卒業と同時に飯能市の医師石井泰彦と結婚。薬剤師となる。その後泰彦は埼玉県議会議員となるも、任期中に死去。夫の地盤を受け継ぎ、1975年に統一地方選挙埼玉県議会議員選挙に立候補し初当選(西三区・飯能市)。1979年、県議再選。この間医療法人飯能中央病院理事長(1996年11月退任)などを経て、自身の経歴を活かし日本薬剤師連盟副会長を務める。同団体の組織力を通じ初の比例代表が導入された1983年第13回参議院議員通常選挙に自民党公認、日本薬剤師会推薦で出馬。落選となったが、1984年、現職の竹内潔の死去に伴い繰り上げ当選。通算3期当選。

環境政務次官(竹下内閣)、労働政務次官(第1次海部内閣)、参議院文教委員長などを経て、1996年第2次橋本内閣環境庁長官として初入閣。自民党埼玉県連会長も務めた。

1999年、東京薬科大学顧問就任(2001年まで)。

2001年の参議院選には出馬せず政界引退。

2009年1月、政治資金の収支報告書の提出を2年連続で怠り、事実上の解散に追い込まれた自民党の政党支部が5年間で232に上っていることが判明。その後、6割の支部が収支を報告して正式に解散したが、解散までの過程で収支報告が途絶え、現在も使途不明の資金が約6500万円存在することが発覚。そのうち5000万円が石井が代表をしていた「自民党埼玉県道友会支部」の分であった。これに対し、石井は「資金は自分で保管している」と説明[1]

2012年12月7日、肺炎のため東京都内の病院で死去した[2]。79歳没。

顕彰歴

1997年6月に、日本女性科学者の会功労賞を受賞した[3]2008年5月には、旭日大綬章受章。2012年12月には、従三位[4](没後)。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 2009年1月8日朝日新聞
  2. ^ 石井道子氏(元環境庁長官)死去時事通信2012年12月10日閲覧
  3. ^ 「日本女性科学者の会 名誉会員・功労賞受賞者・奨励賞受賞者」『日本女性科学者の会学術誌』第1巻第1号、2000年、65頁、doi:10.5939/sjws.01119。 
  4. ^ http://www.jiji.com/jc/zc?k=201212/2012122800439&rel=y&g=pol

著作

  • 『21世紀への架け橋 環境庁長官308日の記録』 1998年3月 アサヒビジネス
公職
先代
岩垂寿喜男
日本の旗 環境庁長官
第34代:1996年 - 1997年
次代
大木浩
議会
先代
松浦功
日本の旗 参議院文教委員長
1993年 - 1994年
次代
松浦孝治
日本の旗 環境庁長官(1996年-1997年)
環境庁長官
環境大臣
日本の旗 比例区選出参議院議員(1983年以降)国会議事堂
奇数回
第13回
(定数50)
自民
社会
公明
共産
民社
サラ新
福祉
新自
二院ク
第15回
(定数50)
社会
自民
公明
共産
民社
二院ク
税金
スポ平
第17回
(定数50)
新進
自民
社会
共産
さきがけ
二院ク
第19回
(定数48)
自民
民主
公明
共産
自由
社民
保守
第21回
(定数48)
民主
自民
公明
共産
社民
日本
国民
第23回
(定数48)
自民
公明
民主
維新
共産
みんな
社民
第25回
(定数50)
自民
立民
公明
維新
共産
国民
れいわ
社民
N国
偶数回
第14回
(定数50)
自民
社会
公明
共産
民社
税金
サラ新
二院ク
新自ク
第16回
(定数50)
自民
社会
公明
日新
共産
民社
スポ平
二院ク
第18回
(定数50)
自民
民主
共産
公明
自由
社民
第20回
(定数48)
民主
自民
公明
共産
社民
第22回
(定数48)
民主
自民
みんな
公明
共産
社民
たち日
改革
第24回
(定数48)
自民
民進
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(定数50)
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↓:途中辞職・在職中死去など、▼:除名、↑:繰上げ当選、x:繰上げなし
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