橘 為義(たちばな の ためよし、生年不詳 - 寛仁元年10月26日(1017年11月17日)[1])は、平安時代中期の公卿。正四位下。但馬守、丹波守。
略歴
近江掾・橘道文の子。子の義通、孫の為仲らも勅撰集に名を残す歌人である[2] 。
藤原道長の家司で、長保5年(1003年)の「左大臣(道長)家歌合」に出詠している[4]
寛弘8年(1011年)6月に摂津守に任ぜられる。
系譜
参考文献
- 『太山寺本後拾遺和歌集とその研究』(桜楓社、1971年、731p)
- 『国司補任 4』(続群書類従完成会 、2000年、34p)
脚注
- ^ 『大日本史料 第2編之12』(東京大学、1961年)p.305
- ^ “橘為義”. 2023年12月16日閲覧。
- ^ “橘為義”. 2023年12月16日閲覧。
外部リンク