村木与四郎

むらき よしろう
村木 与四郎
生年月日 (1924-08-15) 1924年8月15日
没年月日 (2009-10-26) 2009年10月26日(85歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府
死没地 日本の旗 日本東京都
職業 美術監督
活動期間 1944年 - 2002年
配偶者 村木忍
 
受賞
毎日映画コンクール
美術賞
1957年蜘蛛巣城』『どん底』
紫綬褒章
1994年
テンプレートを表示

村木 与四郎(むらき よしろう、1924年8月15日 - 2009年10月26日)は、日本映画美術監督東京府出身。第9代日本映画・テレビ美術監督協会理事長。村木忍は妻。

生涯

1944年千葉大学工学部[1]建築科を卒業し、東宝撮影所の美術助手として入社[1]、主に松山崇の助手として参加する。1951年に同僚の村木忍(旧姓は長岡)と結婚、1954年に美術監督に昇進した[1]1955年から1993年までの黒澤明監督作品(『デルス・ウザーラ』を除く)には欠かせない人物となる[1]アカデミー賞には、人生で4度、美術賞衣装デザイン賞でノミネートされている。1999年に勲四等旭日小綬章を受けた[1]

2009年10月26日、心不全のため[1]東京都内の自宅で死去。85歳没

告別式は10月31日に世田谷区砧の耕雲寺で行われた[1]

主な作品

美術助手作品

美術監督作品

受賞歴

文献

  • 『東京の忘れもの 黒沢映画の美術監督が描いた昭和』(画集)、村木忍共著、浜野保樹編、晶文社、2002年
  • 『村木与四郎の映画美術 「聞き書き」黒沢映画のデザイン』丹野達弥編、フィルムアート社、1998年

出典・参考文献

  1. ^ a b c d e f g 村木与四郎さん死去 黒沢映画の美術監督 読売新聞 2009年10月27日 東京夕刊12ページ
  2. ^ 「秋の叙勲 晴れの受章者 勲四等-勲七等(都内分)」『読売新聞』1999年11月3日朝刊
  • 鶴田義久『黒沢映画の美術』学研、1985年。ISBN 4051016994。 

外部リンク


1940年代
1950年代
1960年代
  • 下河原友雄(1960)
  • 桂長四郎(1961)
  • 大角純一、戸田重昌(1962)
  • 西岡善信(1963)
  • 平川透徹、山崎正夫(1964)
  • 戸田重昌(1965)
  • 山崎正夫(1966)
  • 梅田千代夫(1967)
  • 阿久根巌(1968)
  • 小島基司(1969)
1970年代
  • 横尾嘉良、深民浩 (1970)
  • 水谷浩(1971)
  • 村木与四郎(1972)
  • 村木忍(1973)
  • 横尾嘉良、大村武(1974)
  • 佐藤公信(1975)
  • 間野重雄(1976)
  • 森田郷平(1978)
  • 間野重雄(1979)
1980年代
1990年代
  • 内藤昭(1990)
  • 春木章(1991)
  • 内藤昭(1992)
  • 間野重雄(1993)
  • 井川徳道(1994)
  • 竹中和雄(1995)
  • 横尾嘉良(1996)
  • 小澤秀高(1997)
  • 中澤克巳(1998)
  • 磯見俊裕、郡司英雄(1999)
2000年代
2010年代
2020年代
  • 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
    • 2
  • WorldCat
国立図書館
  • ドイツ
  • イスラエル
  • アメリカ
  • 日本
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、美術家芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。

  • 表示
  • 編集