(けん)(: mātsaryaマートサリヤ)は、仏教が教える煩悩のひとつ。

ものおしみ[1]。自分だけの利益を希求し続ける心のひとつの形で、財宝に耽着して人に施す心無い状態をいう。そのような心の人は、ただ蓄財せんと思う心にとりつかれてしまい、他人のことを考えることもない。

説一切有部五位七十五法のうち、小煩悩地法の一つ[2]。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち小随煩悩である。仏教の戒律の一つに十重禁戒があり、その第八番目が不慳法財戒(ふけんほうざいかい)、つまり法と財とを慳(おし)むことなかれ、という意味を指す[3]

脚注

出典

  1. ^ 櫻部・上山 2006, p. 115.
  2. ^ 中村 2002, p. 96.
  3. ^ http://www.saikoji.net/houwa/houwa1605.html

参考文献

心所法相宗の心所区分)
遍行
別境
煩悩
随煩悩
小随煩悩
中随煩悩
大随煩悩
不定
  • 表示
  • 編集