太原鮮于氏

太原鮮于氏
氏族
朝鮮
領地 太原市
家祖 鮮于靖
著名な人物 鮮于煇鮮于煉鮮于仲皓
箕子

太原鮮于氏(テウォンソヌし、たいげんせんうし、朝鮮語: 태원선우씨)は、朝鮮氏族の一つ。本貫中国政治家箕子の出身地中国山西省太原市である。2015年の調査では3,329人[1]

箕子箕子朝鮮を建てた後、長男の松を荘恵王に、次男の仲を于山国に封じたが、仲の子孫が朝鮮の鮮と于山国の于を取って鮮于氏とした。箕子の48代子孫に箕友平がおり、箕友平が平安南道に入国したことが朝鮮の鮮于氏の始まりとなり、その子孫の鮮于靖が太原鮮于氏の始祖である。なお、友平の弟の友諒は上党韓氏(清州韓氏)の開祖、弟の友誠は徳陽奇氏(幸州奇氏)の始祖となった[2][3]

集姓村

行列字

○世孫 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41
行列字[2] 木部の字 火部の字 土部の字 金部の字 水部の字 木部の字 火部の字 土部の字 金部の字 水部の字

脚注

  1. ^ “KOSIS”. kosis.kr. 2022年11月21日閲覧。
  2. ^ a b “충북의 성씨를 찾아서(48)태원선우씨(太原鮮于氏)” (朝鮮語). 충청일보 (2013年3月7日). 2023年1月15日閲覧。
  3. ^ “유래”. 행주기씨 대종중. 2022年9月5日閲覧。
  4. ^ “선우씨(鮮于氏) 본관(本貫) 태원(太原)입니다.”. www.findroot.co.kr. 2022年7月27日閲覧。

参考文献

  • “선우씨(鮮于氏) 본관(本貫) 태원(太原)”. 한국족보출판사. オリジナルの2022年11月29日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/bWY7P 
  • 金光林 (2014年). “A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names” (英語) (PDF). Journal of cultural interaction in East Asia (東アジア文化交渉学会): p. 16. オリジナルの2016年3月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160327222247/http://www.sciea.org/wp-content/uploads/2014/05/03_JIN.pdf 

関連項目