城陽王

城陽王(じょうようおう)は、中国の王朝におかれた諸侯王の一つである。城陽郡に相当する城陽国を封地として与えられた。

前漢から新

前漢では、高祖劉邦の孫で呂氏の討滅に功があった劉章が城陽王となった。劉喜が一時淮南王に転じたり、劉雲に嗣子がなく一時断絶したりしたが、による王朝交替まで長く続いた。

後漢

後漢では、建国に功があった劉祉と、章帝の子劉淑が城陽王となったが、いずれも一代で終わった。

  • 劉祉 - 恭王。建武2年(26年)3月甲午 - 建武11年(35年)3月
  • 劉淑 - 懐王。永元2年(90年)5月庚戌 - 永元6年(94年)5月

西晋

晋(西晋)王朝を開いた武帝司馬炎は、ずっと前に死別した弟の司馬兆を悼んで城陽王とし、自分の子の司馬景をその跡継ぎとした。短く終わった。

  • 司馬兆 - 哀王。泰始5年(269年)11月追贈。
  • 司馬景 - 懐王。泰始5年(269年)11月 - 泰始6年(270年)7月乙巳。
  • 司馬憲 - 殤王。泰始6年(270年) - 泰始7年(271年)8月。
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