古賀廉造

古賀廉造

古賀 廉造(こが れんぞう、1858年3月1日安政5年1月16日) - 1942年昭和17年)10月11日)は、日本裁判官検察官刑法学者大審院検事判事法学博士法典調査会刑法起草委員。貴族院勅選議員。原敬に引き立てられ出世したが、阿片密売の罪で失脚した。相場も好きで、金山購入で大損害も出した[1]

経歴

  • 1913年 - 警保局長在任中の「中華民国紙幣偽造事件」に連座して、東京地方裁判所で懲役3年の刑を言い渡される
  • 1914年 - 東京控訴院で無罪の判決を受ける
  • 1918年 -拓殖局長官となる
  • 1919年 - 阿片事件を起こす
  • 1921年 - 依願免官
  • 1922年 - 関東州地方法院で収賄罪により懲役6月執行猶予3年の刑を言い渡される
  • 1923年 - 関東州高等法院でさらに阿片密売を加えて懲役1年6月執行猶予3年の刑を言い渡され、確定する
  • 1923年10月13日 - 有罪確定に伴い、貴族院令第10条第1項により貴族院議員を除名される[4][5]
  • 1924年 - 1月23日付で正四位返上を命じられ、同1月21日付で勲二等及び大礼記念章を褫奪された[6]
  • 1942年10月11日 死去、85歳

栄典

位階
勲章等

著書

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『奇物凡物』 鵜崎鷺城 著 (隆文館図書, 1915)
  2. ^ 法政大学百年史編纂委員会 『法政大学百年史』 法政大学、1980年、188-189頁
  3. ^ 『官報』第106号、大正元年12月6日。
  4. ^ 大正12年12月12日第47回帝国議会貴族院議事速記録第1号。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、31頁。
  6. ^ 官報 1924年1月24日 三一七頁
  7. ^ 『官報』第4636号「叙任及辞令」1898年12月12日。
  8. ^ 『官報』第1947号「叙任及辞令」大正8年1月31日。
  9. ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
  10. ^ 『官報』第5964号「叙任及辞令」1903年5月22日。
  11. ^ 『官報』第7014号「叙任及辞令」1906年11月14日。

参考文献

  • 中義勝浅田和茂「古賀廉造の刑法理論」吉川経夫他編著『刑法理論史の総合的研究』(日本評論社、1994年)
  • 慶應義塾百年史.別巻,大学編
  • 楠精一郎『列伝・日本近代史―伊達宗城から岸信介まで』(朝日新聞社、2000年)

外部リンク

  • 古賀廉造近代デジタルライブラリー
日本の旗 内務省警保局長(1906-1908 / 1911-1912)
内務省警保局長
内事局第一局長
国家地方警察本部長官
警察庁長官
カテゴリ カテゴリ
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
国立図書館
  • 日本
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。

  • 表示
  • 編集