伯夷

曖昧さ回避 孤竹国の君子については「伯夷・叔斉」をご覧ください。

伯夷(はくい)は、中国伝説時代の人物。呂の祖。

生涯

垂の子。神農十四世の末裔であり、共工の玄孫とされる。に仕えて政務を補佐し[1]、礼儀を統轄した。獄官の長として刑典を作成した[2][3]。堯よりを賜わり、南陽宛県の西(現在の河南省南陽市臥龍区王村郷(中国語版))を与えられて呂侯に封じられた[4]

の治世には秩宗となって三礼を典った[1]が治水を行った際はそれを補佐し[5]、禹が舜に代わって政務を代行するようになると、伯夷はその股肱の臣となった。

出典

  1. ^ a b ウィキソース出典 (中国語)『『史記』巻一 五帝本紀第一』。ウィキソースより閲覧。 
  2. ^ 程元敏 2011, p. 368
  3. ^ 『重黎』 - コトバンク
  4. ^ ウィキソース出典 (中国語)『『路史』巻二十四 国名紀一』。ウィキソースより閲覧。 
  5. ^ ウィキソース出典 (中国語)『『資治通鑑外紀』巻一』。ウィキソースより閲覧。 

参考書籍

  • 程元敏『尚書周書牧誓洪範金縢呂刑篇義證』万巻楼、2011年1月1日。ISBN 978-9577397362。 
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