京極高直

 
凡例
京極高直
時代 江戸時代前期
生誕 寛永9年11月21日(1633年1月1日
死没 寛文3年1月7日(1663年2月14日
改名 六丸(幼名)、高沖(初名)、高直
戒名 法性院殿真郭道保大禅定門
官位 従五位下飛騨守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱
丹後田辺藩
氏族 京極氏
父母 京極高三水野忠清の娘
兄弟 高直、田中高友、松光院
正室水野忠善の娘
高盛、高元、高門、高住、高里、高完、森長武正室ら
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京極 高直(きょうごく たかなお)は、丹後国田辺藩の第2代藩主豊岡藩京極家2代。

略歴

初代藩主・京極高三の長男。寛永13年(1636年)、父の死去により跡を継ぐ。正保4年(1647年)、江戸増上寺の普請や江戸城修築などを務めた。承応3年(1654年)、隣藩である宮津藩主の京極高広と国境などをめぐって争う。高広と高直は伯父と甥でありながら仲が悪かった。藩政においては郷村支配の強化に努めている。

寛文3年(1663年)正月7日、田辺にて32歳で死去した。このとき、家臣が5名ほど殉死している。それだけ高直は家臣を大切にしていたのかもしれないが、殉死の習慣が問題視されて幕府から殉死禁止令が出されたのは、高直の死から4ヵ月後のことであった。跡を長男の高盛が継いだ。

系譜

  • 父:京極高三(1607-1636)
  • 母:水野忠清の娘
  • 正室:水野忠善の娘
  • 生母不明の子女
    • 次男:京極高元
    • 三男:京極高門(1658-1721年2月17日) - 高直隠居時に丹後国内で二千石を分知され、旗本寄合となった。本家が但馬国に転封となった際、高門の領地も但馬国に移された[1]
    • 六男:京極高里 - 兄の高門の養子となったが、病のため本家に戻された。
    • 七男:京極高完
    • 女子:美作国津山藩森長武正室
    • 他に三女あり

脚注

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  1. ^ 旗本稲垣昭友の三男の高為が養子となって相続したが、高為の室は京極高知の子田中 (京極)滿吉から始まる京極氏一門の旗本京極(田中)高久の娘であった。
四つ目結紋高三流京極氏2代当主(1636年 - 1663年)
宗家
中世
近世以降
(丸亀京極家)

分家・支流

高次流分家
多度津京極家
高知流
宮津/高家京極家
豊岡京極家
峰山京極家
京極氏丹後田辺藩2代藩主 (1636年 - 1663年)
京極家
牧野家