井上正長

井上 正長(いのうえ まさなが、承応3年(1654年)- 享保5年12月4日(1721年1月1日))は、江戸時代前期から中期の旗本大名常陸国下妻藩の初代藩主。美濃国郡上藩主・井上正任の三男。母は本多忠義の娘。兄に井上正岑。子は娘(井上正矩正室)。官位は従五位下、遠江守。

生涯

元禄6年(1693年)、父から3000石を分与されて交代寄合となる。甲府藩徳川綱豊の家老を務め、綱豊が将軍後継者となると西の丸御側衆となり、3000石を加増された。そしてその後も順調に加増されて8000石になり、家宣が死去するとその遺命により、正長は2000石を加増されて1万石で大名に列し、下妻藩主となった。その後も奏者番寺社奉行などを歴任した。1720年12月4日、67歳で死去。養子の正矩が早世したため、その娘婿の正敦が正長の養嗣子となり、跡を継いだ。墓所は東京都台東区の谷中霊園。

系譜

父母

子女

養子、養女

参考文献

井上氏下妻藩初代藩主 (1712年 - 1720年)
水戸松平家
福井松平家
久松松平家
土井家
  • 土井利益1658-1675(古河藩領から分知)
  • 土井宗家相続により古河藩へ再編入

下総古河藩領および幕府領

井上家