一色公深
凡例 一色 公深 | |
---|---|
時代 | 鎌倉時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 元徳2年2月17日(1330年3月7日) |
別名 | 足利七郎、一色太郎、通称:一色阿闍利、宮内卿律師 |
戒名 | 宝持寺殿孝厳相公 |
墓所 | 埼玉県幸手市宝持寺 |
官位 | 左京大夫[1] |
幕府 | 鎌倉幕府三河守護 |
氏族 | 一色氏 |
父母 | 父:足利泰氏、母:桜井判官代俊光女(尊卑分脈) |
兄弟 | 斯波家氏、渋川義顕、足利頼氏、石塔頼茂、公深、上野義弁、小俣賢宝、加古基氏、覚海 |
妻 | 今川国氏娘 |
子 | 頼行、範氏 |
テンプレートを表示 |
一色 公深(いっしき きみふか/こうしん)は、鎌倉時代の武士。足利泰氏の七男にして一色氏の初祖。宮内卿律師とも。また公深は法名ともいう。
事績・経歴
足利義氏は鎌倉幕府により三河守護に任じられた。任国となった三河国内の地頭などに足利一族が多く配されたが 、義氏の嫡男泰氏の七男・公深は幡豆郡吉良荘一色郷(現在の愛知県西尾市一色町一色)に吉良荘地頭として住し、その地名を取って一色氏を称したという。
のちに下総国葛飾郡田宮荘幸手(現在の埼玉県幸手市中一丁目)に移住し、同地に幸手城を築いたという[2]。元徳2年2月17日(1330年3月7日)同地に没し、曹洞宗宝持寺に葬られた。
家族
脚注
[脚注の使い方]
参考文献
- 堀田正敦等編 『新訂 寛政重修諸家譜 第二 』 1964年、続群書類従完成会。
- 今谷明・藤枝文忠 編 『室町幕府守護職家事典(上) 』 1988年、新人物往来社、ISBN 4-404-01501-1 C1521.
- 表示
- 編集