レオポルド・カルボ=ソテーロ

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はカルボ=ソテーロ第二姓(母方の姓)はイ・ブステーロです。
レオポルド・カルボ=ソテーロ
スペイン語: Leopoldo Calvo-Sotelo
生年月日 (1926-04-14) 1926年4月14日
出生地 スペインの旗 スペイン王国マドリード
没年月日 (2008-05-03) 2008年5月3日(82歳没)
死没地 スペインの旗 スペインマドリード州ポスエロ・デ・アラルコン
出身校 マドリード土木学校
前職 企業経営者
所属政党 民主中道連合(UCD)
配偶者 マリア・デル・ピラール・イバニェス=マルティン・イ・メジャード
親族 ホセ・カルボ=ソテーロ(英語版)
宗教 ローマ・カトリック

スペインの旗 通産大臣
在任期間 1975年12月13日 - 1976年7月6日

スペインの旗 公共労働大臣
在任期間 1976年7月4日 - 1977年4月

スペインの旗 第二副首相
在任期間 1980年9月9日 - 1981年2月25日

在任期間 1981年2月25日 - 1982年12月1日
元首 フアン・カルロス1世
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レオポルド・ラモン・ペドロ・カルボ=ソテーロ・イ・ブステーロスペイン語: Leopoldo Ramón Pedro Calvo-Sotelo y Bustelo, 1926年4月14日2008年5月3日)は、スペインマドリード出身の政治家。1970年代の民主化後もっとも短命だった首相である。

経歴

1926年4月14日、マドリード生まれ。レオポルドはマドリード土木学校(現・マドリード工科大学)で土木工学を学び、化学工業の労働者として働いた後[1]、1967年から1968年にはレンフェの社長を務めた。1965年から1973年にはマドリード市長を務めた。フランシスコ・フランコ死去後の1975年から1976年にはカルロス・アリアス=ナバーロ政権の通産大臣[1]、1976年から1977年にはアドルフォ・スアレス政権の公共労働大臣、1980年から1981年にはスアレス政権の第二副首相を務めた[1]。1981年2月に民主中道連合(UCD)の分裂の結果スアレスが首相を辞任すると、カルボ=ソテーロがUCDの党首に就任し、UCDはカルボ=ソテーロをスアレスの後継首相に指名した[2]。その後国王の承認を得たが、1981年2月23日の首相信任投票時には、スペイン陸軍治安警備隊の過激派集団が国会議事堂に突入し、下院議員350人を人質とするクーデター未遂事件、いわゆる23-Fが起こっている[1]。2日後の2月25日に改めて行われた信任投票で下院はカルボ=ソテーロを信任し[3]首相となった。1982年12月の総選挙でフェリペ・ゴンサレスが首相に就任するまで1年10か月間首相を務め、スペインの西欧接近策を進めた。UCD党内には北大西洋条約機構(NATO)加盟に対する慎重論があり、またスペイン社会労働党(PSOE)やスペイン共産党はNATO加盟について可否を問う国民投票の実施を要求したが、カルボ=ソテーロはそれらを押し切って1982年にNATO加盟を決断した[4][1]。カルボ=ソテーロの首相在任時にほぼすべての自治州政府が成立し、カルボ=ソテーロは前任のスアレスが残した問題を処理して成果を挙げたが、1981年後半からUCDは分解しはじめ、カルボ=ソテーロは1982年8月に議会を解散して総選挙に臨んだ[5]。1982年の総選挙では社会労働党に敗れて野党に転じ、民主中道連合は解散した。

カルボ=ソテーロは8人の子を儲けた。2008年5月3日、マドリード州ポスエロ・デ・アラルコンの自宅で死去した。死因は心停止

親族

父親のレオポルド・カルボ=ソテーロ(息子と同名)は著作家[6]。カルボ=ソテーロ家は政治家の家系であり、叔父のホセ・カルボ=ソテーロ(英語版)は王党派のスペイン革新党党首であり、ミゲル・プリモ・デ・リベラ政権で財務大臣を務めたが[1]、1936年7月に左翼系の青年将校によって暗殺された。この暗殺事件はスペイン内戦につながる軍部の武装蜂起のきっかけとなった[7]

脚注

  1. ^ a b c d e f “Leopoldo Calvo Sotelo: Post-Franco Prime Minister of Spain who survived an attempted coup and was determined to see the country join Nato”. The Times (UK). (2008年5月5日). http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article3872364.ece 2008年5月13日閲覧。 
  2. ^ 立石編(2000)、p.345
  3. ^ 立石編(2000)、p.346
  4. ^ 立石編(2000)、p.347
  5. ^ 立石編(2000)、p.349
  6. ^ Leopoldo Calvo-Sotelo y Bustelo, 1. marqués de Ría de Ribadeo GeneAll
  7. ^ 川成洋・坂東省次・桑原真夫『スペイン王権史』中央公論新社、2013年、pp.214-215

参考文献

  • 立石博高 編『スペイン・ポルトガル史』山川出版社、2000年
公職
先代
アドルフォ・スアレス
スペインの旗 首相
1981年 - 1982年
次代
フェリペ・ゴンサレス
イサベル2世治世下
(1833–1868)
  • マルティネス・デ・ラ・ローザ 1834-1835
  • ケイポ 1835
  • アラバ 1835
  • アルバレス・メンディサバル 1835-1836
  • イストゥリズ 1836
  • カラトラバ 1836-1837
  • エスパルテロ 1837
  • バルダヒ 1837
  • エレディア 1837-1838
  • ベラスコ 1838
  • ペレス・デ・カストロ 1838-1840
  • アントニオ・ゴンサレス 1840
  • フェハス 1840
  • コルタサル 1840
  • サンチョ 1840
  • エスパルテロ 1840-1841
  • フェレール 1841
  • アントニオ・ゴンサレス 1841-1842
  • ロディル 1842-1843
  • J. M. ロペス 1843
  • ゴメス・ベセラ 1843
  • オロザガ 1843
  • ゴンサレス・ブラボー 1843-1844
  • ナルバエス 1844-1846
  • フェルナンデス・デ・ピネド 1846
  • ナルバエス 1846
  • イストゥリズ 1846-1847
  • マッキーン 1847
  • パチェコ 1847
  • ガルシア・ゴエナ 1847
  • ナルバエス 1847-1849
  • マリア・デ・ソット 1849
  • ナルバエス 1849-1851
  • ブラボー・ムリーリョ 1851-1852
  • ロンカリ 1852-1853
  • レルサンディ 1853
  • サルトリウス 1853-1854
  • コルドバ 1854
  • リバス 1854
  • エスパルテロ 1854-1856
  • オドンネル 1856
  • ナルバエス 1856-1857
  • アルメロ 1857-1858
  • イストゥリズ 1858
  • オドンネル 1858-1863
  • フェルナンデス・デ・ピネド 1863-1864
  • アラゾラ 1864
  • モン 1864
  • ナルバエス 1864-1865
  • オドンネル 1865-1866
  • ナルバエス 1866-1868
  • ゴンサレス・ブラボー 1868
  • コンチャ 1868
民主主義の六年間
(1868–1874)
  • マドス 1868
  • セラーノ 1868-1869
  • プリム 1869-1870
  • トペーテ 1870-1871
  • セラーノ 1871
  • ルイス・ソリーリャ 1871
  • マルカンポ 1871
  • サガスタ 1871-1872
  • セラーノ 1872
  • ルイズ・ソリーリャ 1872-1873
  • フィゲラス 1873
  • 1873
  • サルメロン 1873
  • カステラル 1873-1874
  • セラーノ 1874
  • サバラ 1874
  • サガスタ 1874
王政復古
(1874–1931)
  • カノバス 1874-1875
  • ホベリャール 1875
  • カノバス 1875-1879
  • マルティネス・カンポス 1879
  • カノバス 1879-1881
  • サガスタ 1881-1883
  • ポサーダ 1883-1884
  • カノバス 1884-1885
  • サガスタ 1885-1890
  • カノバス 1890-1892
  • サガスタ 1892-1895
  • カノバス 1895-1897
  • アスカラガ 1897
  • サガスタ 1897-1899
  • シルベラ 1899-1900
  • アスカラガ 1900-1901
  • サガスタ 1901-1902
  • シルベラ 1902-1903
  • フェルナンデス・ビジャベルデ 1903
  • マウラ 1903-1904
  • アスカラガ 1904-1905
  • フェルナンデス・ビジャベルデ 1905
  • モンテーロ 1905
  • モレット 1905-1906
  • ロペス・ドミンゲス 1906
  • モレット 1906
  • アギラ 1906-1907
  • マウラ 1907-1909
  • モレット 1909-1910
  • カナレハス 1910-1912
  • ガルシア・プリエト 1912
  • ロマノーネス 1912-1913
  • ダト 1913-1915
  • ロマノーネス 1915-1917
  • ガルシア・プリエト 1917
  • ダト 1917
  • ガルシア・プリエト 1917-1918
  • マウラ 1918
  • ガルシア・プリエト 1918
  • ロマノーネス 1918-1919
  • マウラ 1919
  • サンチェス・デ・トカ 1919
  • アジェンデサラサル 1919-1920
  • ダト 1920-1921
  • ブガラル 1921
  • アジェンデサラサル 1921
  • マウラ 1921-1922
  • サンチェス・ゲラ 1922
  • ガルシア・プリエト 1922-1923
  • プリモ・デ・リベラ 1923-1930
  • ベレンゲル 1930-1931
  • アスナル 1931
第二共和政
(1931–1939)
  • アルカラ=サモーラ 1931
  • アサーニャ 1931-1933
  • レルー 1933
  • マルティネス・バリオ 1933
  • レルー 1933-1934
  • サンペール 1934
  • レルー 1934-1935
  • チャパプリエータ 1935
  • ポルテーラ 1935-1936
  • アサーニャ 1936
  • バルシア 1936
  • カサーレス 1936
  • マルティネス・バリオ 1936
  • ヒラル 1936
  • ラルゴ 1936-1937
  • ネグリン 1937-1939
フランコ体制下
(1936–1975)
民主化後
(1975-)
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