マルクス・ユリウス・セウェルス・ピリップス
マルクス・ユリウス・セウェルス・ピリップス Marcus Iulius Severus Philippus | |
---|---|
ローマ皇帝 (共同皇帝) | |
マルクス・ユリウス・セウェルス・ピリップス | |
在位 | 244年 - 249年 |
出生 | 238年 |
死去 | 249年 |
父親 | ピリップス・アラブス |
母親 | マルキア・オタキリア・セウェラ(en) |
テンプレートを表示 |
マルクス・ユリウス・セウェルス・ピリップス(ラテン語:Marcus Iulius Severus Philippus、238年 - 249年)は、軍人皇帝時代のローマ皇帝であり、父ピリップス・アラブスの共同皇帝の地位にあった人物である。ピリップス2世、ピリップス・カエサルとも称される。
生涯
ゴルディアヌス3世の死後、父ピリップス・アラブスが244年にローマ皇帝に即位すると、ピリップスはマルクスを共同皇帝とし、更にマルクスは247年および248年に執政官(コンスル)となった。しかし、249年に父ピリップスが皇帝簒奪を図るべくローマへ進軍していたデキウスとの戦いで敗死したとの知らせがローマへ届くと、マルクスは親衛隊によって殺害された。マルクスは母マルキア(en)の腕の中で息を引き取ったと伝わっている。なお、以降のマルキアの生涯については文献に記載が無い。
ウィキメディア・コモンズには、マルクス・ユリウス・セウェルス・ピリップスに関連するメディアがあります。
| |||||
---|---|---|---|---|---|
ユリウス=クラウディウス朝 | |||||
四皇帝の年 | |||||
フラウィウス朝 | |||||
ネルウァ=アントニヌス朝 |
| ||||
五皇帝の年 |
| ||||
セウェルス朝 |
| ||||
3世紀の危機 |
| ||||
テトラルキア |
| ||||
コンスタンティヌス朝 |
| ||||
ウァレンティニアヌス朝 |
| ||||
テオドシウス朝 | |||||
|
- 表示
- 編集
この項目は、イタリアの歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:イタリア/P:歴史/PJイタリア/PJ歴史)。 |
- 表示
- 編集