マリア・ゲオルギエヴナ
マリア・ゲオルギエヴナ Мария Георгиевна | |
---|---|
グリクシンブルグ家 | |
称号 | ロシア大公妃 |
出生 | (1876-03-03) 1876年3月3日 ギリシャ王国、アテネ |
死去 | (1940-12-14) 1940年12月14日(64歳没) ギリシャ、アテネ |
埋葬 | ギリシャ、タトイ宮殿、王室墓地 |
配偶者 | ロシア大公ゲオルギー・ミハイロヴィチ |
ペリクレス・イオアンニディス | |
子女 | ニーナ クセニヤ |
父親 | ギリシャ王ゲオルギオス1世 |
母親 | オルガ・コンスタンチノヴナ |
テンプレートを表示 |
マリア・ゲオルギエヴナ (ロシア語: Мария Георгиевна、ギリシア語: Μαρία της Ελλάδας、1876年3月3日 - 1940年12月14日)は、ロシアの皇族、ロシア大公妃。ゲオルギー・ミハイロヴィチ大公(ニコライ1世の孫)の妻。
生涯
ギリシャ王ゲオルギオス1世とその王妃オルガの次女として、アテネで生まれた。
1900年、ケルキラ島で母の従弟ゲオルギーと結婚した。当初からゲオルギーとの結婚に乗り気でなかったマリアは、子供たちが成長するにつれ、夫をロシアに残し、健康のためと称して国外で過ごすようになった。第一次世界大戦中はイギリスに滞在し、ロシアへ戻らなかった。
1919年、ゲオルギーがボリシェヴィキに殺害され、マリアは未亡人となった。3年後の1922年、ヴィースバーデンで、ギリシャ人提督ペリクレス・イオアンニディスと再婚した。ギリシャ・イタリア戦争の最中である1940年、アテネで没した。
子女
ウィキメディア・コモンズには、マリア・ゲオルギエヴナに関連するカテゴリがあります。
- 表示
- 編集
| |
---|---|
第1世代 | |
第2世代 |
|
第3世代 |
|
第4世代 |
|
第5世代 |
|
第6世代 |
|
第7世代 | |
第8世代 |
|
|