トルヒーリョ (スペイン)
![]() | |
州 | ![]() |
---|---|
県 | ![]() |
面積 | 655 km² |
標高 | 564mm |
人口 | 9,860 人 (2008年) |
人口密度 | 15.05 人/km² |
住民呼称 | Trujillano/-a |
![]() ![]() Trujillo スペイン内トルヒージョの位置 ![]() ![]() Trujillo カセレス県内トルヒージョの位置 北緯39度27分55秒 西経5度52分44秒 / 北緯39.46528度 西経5.87889度 / 39.46528; -5.87889座標: 北緯39度27分55秒 西経5度52分44秒 / 北緯39.46528度 西経5.87889度 / 39.46528; -5.87889 |
トルヒーリョ (Trujillo)は、スペイン・エストレマドゥーラ州カセレス県のムニシピオ(基礎自治体)。トルヒージョ、トルヒーヨとの表記も見られる。現在のペルーにあたる地域を征服したコンキスタドールとして知られるフランシスコ・ピサロの出身地である。
地理
県都カセレスから47km離れている。モンフラグエ国立公園と接する。
歴史
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Trujillo_streetscape.jpg/150px-Trujillo_streetscape.jpg)
花崗岩質のバソリスの上に町はあり、先史時代とローマ以前の遺跡が残る。
ローマ時代、町はトゥルガリウム(Turgalium)と呼ばれた。後にイベリア半島へ西ゴート族が来襲しても、町の人口は属州ヒスパニア時代から定住するローマ系市民が優勢であった。イスラム支配下では、バダホスに本拠を置くイスラムのタイファに属した。500年に渡る異教徒の支配のもと、幾度ものキリスト教国軍の侵攻が続き、1186年にアルフォンソ8世によって征服された。しかしムワッヒド朝が勢力を強めてくると再度征服し、再びキリスト教徒の町となったのは1232年、フェルナンド3世の時代であった。1430年、フアン2世が都市の地位を授けた。当時既に、市城壁の外にはユダヤ人の定住地があった。人口が増加するトルヒーリョは、次第に城壁の外へ、囲い地の外へ拡大していった。
現在のマヨール広場は、新大陸へ探険にいったトルヒーリョ出身者が帰国後建てた、壮麗な邸宅で飾り立てられた。
フランス軍が侵攻した時、住民だけでなく建物や公文書も損傷を受けた。
著名な出身者
- フランシスコ・ピサロ (ペルーのコンキスタドール)
- ゴンサロ・ピサロ
- フランシスコ・デ・オレリャーナ
- ヘロニモ・デ・ロアイサ(es:Jerónimo de Loayza) - リマ大司教
- ガスパール・デ・ローダス(en:Gaspar de Rodas)
史跡
- マヨール広場とフランシスコ・ピサロ像
- フランシスコ・ピサロの生家
- コンキスタ邸
- トルヒーリョ城
外部リンク
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4a/Commons-logo.svg/30px-Commons-logo.svg.png)
- 公式ウェブサイト
- 表示
- 編集