ツァレーヴィチ

曖昧さ回避 フランツ・レハールのオペレッタ"Der Zarewitsch"については「ロシアの皇太子」をご覧ください。

ツァレーヴィチロシア語: Царе́вич)は、主にロシアツァーリの息子に与えられる称号。娘の場合はツァレーヴナЦаре́вна)となる。それぞれ「皇子」「皇女」と訳される。西欧関係の文献では「ツァーレヴィチ」と表記されることがあるが、ロシア語のアクセント位置からすれば誤りである。

概要

ツァレーヴィチの称号で呼ばれた最初の人物はイヴァン4世の長男ドミトリー(1552年 - 1553年)である。モスクワ・ロシアに併合されたカザン・ハン国カシモフ・ハン国シビル・ハン国ハーン(ツァーリ)の子孫もこの称号で呼ばれることがあった。

1721年、ピョートル1世が自身の最高称号をインペラートル(皇帝)に変更して以後は、使われることがなくなった。さらに1797年にロシア皇帝パーヴェル1世が帝位継承法を定めて以後は、皇帝の推定相続人である最年長の息子はツェサレーヴィチ、その弟たちは大公ヴェリーキー・クニャージ)と区別されて呼ばれるようになった。それでも、民間でツァーリの称号が使用され続けたのと同様、慣習的にツァレーヴィチの称号も使用され続けた。そのため、ツァレーヴィチと呼ばれうる最後のロシア皇族はニコライ2世の長男アレクセイということになる。

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