ジョージ・フォアマン

ジョージ・フォアマン
ラスベガスの講演にて (2016年)
基本情報
本名 ジョージ・エドワード・フォアマン
(George Edward Foreman)
通称 ビッグ・ジョージ
(Big George)
階級 ヘビー級
身長 193cm[1]
リーチ 201cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1949-01-10) 1949年1月10日(75歳)
出身地 テキサス州マーシャル
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 81
勝ち 76
KO勝ち 68
敗け 5
テンプレートを表示
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
男子 ボクシング
オリンピック
1968 メキシコシティ ヘビー級

ジョージ・フォアマンGeorge Foreman1949年1月10日 - )は、アメリカ合衆国牧師実業家、元プロボクサーテキサス州マーシャル出身。元WBAWBCIBF世界ヘビー級王者。メキシコシティーオリンピックヘビー級金メダリスト

統一世界ヘビー級王者となり、1度は引退するも10年後に復帰すると45歳9カ月のときに再びヘビー級王者に返り咲いた。

全盛期時代(1973年)

来歴

生い立ちとアマチュア時代

貧しい黒人家庭で、7人兄弟の5番目の子供として生まれる。少年期は喧嘩・飲酒・窃盗に明け暮れる不良少年で、15歳で学校を中退している。16歳の頃、偶然テレビで目にした「君にもセカンドチャンスがある!」という広告にひかれ、リンドン・ジョンソン大統領が貧民救済策として創設した職業部隊 (Job Corpsに加入、General Educational Developmentを習得し、大工とレンガ職人の職業訓練を受けた。当初はジム・ブラウンに憧れアメリカンフットボールをやっていたが、アメリカンフットボールを諦めてボクシングに転向した[2]

金メダル獲得後にリンドン・ジョンソン大統領と面会するフォアマン(1968年)

アマチュアボクシングを始めてから2年足らずで国内選考会を勝ち抜き、メキシコシティーオリンピックボクシングヘビー級米国代表選手に選ばれる。1968年10月、決勝でソビエト連邦代表のイオナス・チェプリスをKOで破り金メダルを獲得する。

プロデビューから世界ヘビー級王者へ

オリンピック後はトレーナーのディック・サドラーと契約し、元世界ヘビー級王者ソニー・リストンのスパーリングパートナーを務める。1969年6月23日、プロデビュー戦でドナルド・ウォルハイム(英語版)と対戦し、3回1分54秒KO勝ちを収めた。この年は13連勝(11KO)、翌年1970年は12連勝(11KO)を飾った。しかし、対戦相手は無名の選手が多く、作られた戦績という見方もされていた。

1973年

1973年1月22日、37戦全勝(34KO)という戦績を引っ提げ、ジャマイカ・キングストンのナショナル・スタジアムで29戦全勝(25KO)のWBAWBC世界ヘビー級統一王者ジョー・フレージャーに挑戦。1回に3度、2回に3度のダウンを奪い、2回2分26秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。当時、モハメド・アリに勝利しヘビー級史上最強と謳われたフレージャーをフォアマンが一方的に打ちのめす試合内容は「キングストンの惨劇」と呼ばれた。この試合はリングマガジンのファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。

1973年9月1日、東京日本武道館ホセ・ローマン(英語版)と対戦し、1回2分KO勝ちを収め王座の初防衛に成功した。

1974年3月26日、ベネズエラカラカスで「モハメド・アリの顎を砕いた男」ケン・ノートンと対戦し、2回2分TKO勝ちを収め2度目の王座防衛に成功した。

アリ戦の敗戦と転身

トレーナーのアーチー・ムーアと共にキンシャサへ向かうフォアマン(左)

1974年10月30日、ザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで元WBA・WBC世界ヘビー級統一王者モハメド・アリと対戦。この一戦はアフロ・アメリカンのボクサー同士がルーツであるアフリカ大陸で行う初のヘビー級タイトルマッチで「ランブル・イン・ザ・ジャングル」(ジャングルの決闘[3])という謳い文句が付けられた。当時25歳で、40戦無敗(内37勝がKO勝ち)で「象をも倒す」と言われたハードパンチャーのフォアマンに対して、アリは当時32歳で復帰以降フットワークに衰えが見られ、この試合で引退に追い込まれるのではないかと囁かれた。アメリカの専門家筋の予想は4対1、ロンドンのブックメーカーの掛け率は11対5でフォアマン勝利を支持した[4]

フォアマン対アリ戦(1974年)

試合は、フォアマンが序盤から圧倒的に攻め続けながら、ロープ際でロープに体を預けて防御するアリの戦法(ロープ・ア・ドープ)にはまり体力を消耗(フォアマンはアリ陣営によってロープが緩められていたと主張している)。8Rに逆転KOされ王座から陥落し、41戦目でのキャリア初黒星となった[5]

詳細は「キンシャサの奇跡」を参照

1975年4月26日、カナダメープルリーフ・ガーデンズで一晩に5人のプロボクサーとエキシビションで対戦した。モハメド・アリがテレビ解説を務めたが、フォアマンはリングサイドのアリに向かって再戦を要求した[6]

アリに敗北を喫してから1年以上休養した1976年1月24日、ロン・ライル(英語版)とNABFヘビー級王座決定戦を行い、ダウンの応酬の末5回2分28秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した。その後、ジョー・フレージャーとの再戦(5回2分26秒TKO勝ち)を含めて4連勝する。1977年3月17日、勝てばアリへの再挑戦権を得る試合にこぎつける。場所はプエルトリコサンファン、相手は格下のジミー・ヤング(英語版)だった。一方的にヤングを攻めたが、試合中盤に失速し、最終回にダウンを喫して12回0-3の判定負け。

ヤング戦の試合後、疲労と熱中症に苦しみロッカールームで昏倒し、イエス・キリストの存在を感じる神秘的な臨死体験をしたことを契機に、キリスト教に目覚める。28歳でボクサーを引退し、キリスト教の牧師に転身する。

リング復帰と王座返り咲き

引退後はヒューストンの自宅近くに教会と「ジョージ・フォアマン青少年センター」を開設。しかし、施設維持費のほか、4度の離婚の慰謝料、12人の子供の養育費、雇っていた会計士の横領事件などによって資金難となり、38歳のときに10年ぶりに現役復帰を決意する。1987年3月9日、スティーブ・ゾウスキーと対戦し、4回2分47秒KO勝ちを収め復帰戦を飾る。

現役復帰を発表した時は、10年のブランクに加え、体型も明らかに肥満していたため、多くの人々は「正気か」と嘲笑したが[2]、復帰後24連勝を飾りヘビー級タイトル戦線に再浮上する(マイク・タイソンとの対決も期待されたが実現せず)。

1991年4月19日、「The Battle of the Ages」(時代を超えた対決)と題された一戦でWBA・WBC・IBF世界ヘビー級統一王者イベンダー・ホリフィールドに挑戦。フォアマンより14歳年下で全盛期を迎えていたホリフィールドを相手に激しい打ち合いを展開し、12回0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗するも多くの人々を驚かせた。

1993年6月7日、トミー・モリソンWBO世界ヘビー級王座決定戦を行う。フォアマンとの打ち合いを避け後退しながらアウトボクシングに徹っするモリソンを捉えることができず、12回0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。その後1年以上ブランクが続き、引退も囁かれる。

1994年11月5日、フォアマンより19歳年下のWBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーから逆指名され、復帰後3度目のタイトル挑戦に臨む。モーラーのアウトボクシングに9回までフォアマンはスコアカードで大差をつけられ負けていたが、10回に入るとパンチの連打で反撃に転じ、10回2分3秒に右ストレートをモーラーの顎に叩き込みKO勝ちを収め、アリ戦から20年越しとなる世界ヘビー級王座の返り咲きに成功した。45歳9カ月での戴冠はボブ・フィッシモンズ(ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった(2011年にバーナード・ホプキンスが46歳4カ月で更新)。

1995年3月、WBAから指名されたトニー・タッカーとの対戦を拒否し、WBA王座を剥奪される。同年4月、アクセル・シュルツを物議を醸す12回3-0の判定で破り、IBF王座の初防衛に成功するとともにWBU世界ヘビー級王座を獲得。同年7月、IBFから指令されたシュルツとの再戦を拒否し、IBFタイトルも剥奪される。

1996年11月3日、東京ベイNKホールクロフォード・グリムズリー(英語版)と対戦し(JBC非公認試合・日本IBF協力)、12回3-0の判定勝ちを収め、WBU王座の初防衛に成功するとともにIBA世界ヘビー級王座を獲得。1997年4月26日、ルー・サバリーゼ(英語版)12回2-1の判定で破り2度目のWBU王座防衛に成功するがこれも返上する。

1997年11月22日、WBC世界ヘビー級王者レノックス・ルイスへの挑戦権をかけてシャノン・ブリッグスと対戦し、12回0-2の判定負け。これが現役最後の試合となり、1999年ラリー・ホームズとの対戦が実現しかけるが交渉が決裂し実現しなかった。

2004年2月、55歳のとき現役復帰するためにトレーニングを始めたことを発表し、トレバー・バービックとの対戦が噂されるが、妻に反対され実現せず。

現在はテキサス州のヒューストンにあるキリスト教会「ザ・チャーチ・オブ・ザ・ロード・イエス・キリスト」で牧師をしている。また、バーベキューグリルジョージ・フォアマン・グリル(英語版)」に名前の使用権を許可すると共に製品の宣伝広報を務めヒットさせ、TVドラマやCMに出演するなど成功を収めた。

人物・エピソード

  • フォアマンは5度結婚しており、1971年から1974年まではエイドリアン・カルホーンと、1977年から1979年まではシンシア・ルイスと、1981年から1982年まではシャロン・グッドソンと、1982年から1985年まではアンドレア・スケイテと結婚し、1985年に現在の妻であるメアリー・ジョーン・マーテリーと結婚した。
  • フォアマンには5男7女の12人の子供がいる[7]。娘のフリーダ・フォアマン(フィンランド語版)と次男のジョージ・フォアマン3世(英語版)はプロボクサーだった。
  • 7人兄弟の次男(上から5番目)であるが、フォアマンのみ異父を持つ。本人はこの事実をアリ戦の敗戦後に知った。
ジョージ・フォアマン・グリル(英語版)
  • フォアマンが現役復帰して成功した秘訣を健康的な食事によるものと語っていたことに目をつけた調理器具メーカーのサルトン(英語版)から依頼され、宣伝広報に就任して発売したバーベキューグリル「ジョージ・フォアマン・グリル(英語版)」が大ヒットし、2009年の時点で1億個以上が販売された。1999年、フォアマンはグリルの商権を1億3800万ドル(約165億6000万円)で売却した[8]
  • ボクシングで稼いだ金を更生施設の設立につぎ込むなど、社会奉仕活動を積極的に行う人柄が人々から慕われ、体格と人間的な器の大きさを讃えて「ビッグ・ジョージ」という愛称を持つ[2]
  • 最初の王者だった頃は不愛想で、周囲に殺気を放つような人物だった。引退後、キリスト教牧師となり、その宣教を通して心の平穏を得ると、柔らかな表情とユーモアのあるコメントでファンに愛されるキャラクターとなった。また、100kg前後だった体型が復帰後は太り120kgまで増加し、頭髪もアフロヘアーからスキンヘッドとなったため、外見のイメージも一変した。
  • キンシャサでモハメド・アリと対戦した際、フォアマンはアリを「殺す」つもりだったと語っている。その後、キリスト教の牧師となり心の平穏を得たフォアマンはアリと友人関係を築き、2023年のインタビューでフォアマンは「アリとの友情がボクシングで得た最高の贈り物だった。彼がいないのが今でも寂しい」と語っている[9]
  • 1968年のメキシコ五輪で金メダルを獲得した時、フォアマンは星条旗の小旗を振って喜びを表した。しかし、当時のアメリカでは黒人差別への抗議活動がスポーツ分野にも及んでおり、男子200m走の表彰式では金・銅メダルのトミー・スミスと銅メダルのジョン・カーロスが黒い手袋をつけた拳を掲げるデモンストレーション(ブラックパワー・サリュート)を行い、大会から追放された。フォアマンの行為は偽善愛国者と誤解され、同胞の黒人から非難されてしまった[10]

戦績

  • アマチュアボクシング: 26戦 22勝 4敗
  • プロボクシング: 81戦 76勝 (68KO) 5敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1969年6月23日 3R 1:54 KO ドナルド・ウォルハイム(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 プロデビュー戦
2 1969年7月1日 1R 2:30 KO フレッド・アスキュー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
3 1969年7月14日 1R 2:59 TKO シルヴェスター・ドゥレイア アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
4 1969年8月18日 3R 0:54 TKO チャック・ウェプナー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
5 1969年9月18日 1R 2:19 KO ジョニー・キャロル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
6 1969年9月23日 2R 0:19 KO ロイ・ウォレス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
7 1969年10月7日 2R 0:32 TKO ヴァーノン・クレイ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
8 1969年10月31日 8R 判定3-0 ロベルト・ダビジャ ペルーの旗 ペルー
9 1969年11月5日 4R 1:00 KO レオ・ピーターソン トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ
10 1969年11月18日 2R 2:35 KO マックス・マルティネス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
11 1969年12月6日 1R 1:22 TKO ボブ・ハゼルトン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
12 1969年12月16日 10R 判定3-0 レヴィ・フォルテ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
13 1969年12月18日 1R TKO ゲイリー・ホボ・ワイラー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
14 1970年1月6日 4R 0:44 KO チャーリー・ポリート アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
15 1970年1月26日 5R 1:10 KO ジャック・オハロラン(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
16 1970年2月16日 10R 判定3-0 グレゴリオ・ペラルタ(英語版) アルゼンチンの旗 アルゼンチン
17 1970年3月31日 1R 2:42 TKO ルファス・ブラセル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
18 1970年4月17日 3R 0:37 TKO ジェームズ・J・ウッディ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
19 1970年4月29日 4R 2:24 TKO アーロン・イーストリング アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
20 1970年5月16日 7R 1:41 TKO ジョージ・ジョンソン(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
21 1970年7月20日 1R 2:29 KO ロジャー・ラッセル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
22 1970年8月4日 3R 1:41 TKO ジョージ・シュバロ カナダの旗 カナダ
23 1970年11月3日 3R 1:50 TKO ルー・バイリー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
24 1970年11月18日 6R 1:38 TKO ブーン・カークマン(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
25 1970年12月18日 3R 1:40 TKO メル・ターンボウ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
26 1971年2月8日 1R 2:01 KO チャーリー・ボストン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
27 1971年4月3日 2R 2:58 TKO スタンフォード・ハリス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
28 1971年5月10日 10R 2:52 TKO グレゴリオ・ペラルタ(英語版) アルゼンチンの旗 アルゼンチン NABFヘビー級王座決定戦
29 1971年9月14日 1R KO ヴィク・スコット アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
30 1971年9月21日 2R 1:54 KO リロイ・コールドウェル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
31 1971年10月7日 2R 2:35 KO オリー・ウィルソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
32 1971年10月29日 4R 終了 TKO ルイス・ファウスティーノ・ピレス ブラジルの旗 ブラジル
33 1972年2月29日 2R KO ジョー・マーフィー・グッドウィン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
34 1972年3月7日 2R 2:55 KO クラレンス・ブーン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
35 1972年4月10日 2R 2:28 KO デッド・グリック アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
36 1972年5月11日 2R 2:29 KO ミゲル・アンヘル・パエス アルゼンチンの旗 アルゼンチン パンアメリカンヘビー級タイトルマッチ
37 1972年10月10日 2R 1:05 KO テリー・ソレル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
38 1973年1月22日 2R 2:26 TKO ジョー・フレージャー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBAWBC世界ヘビー級タイトルマッチ
WBA・WBC・リングマガジン王座獲得
39 1973年9月1日 1R 2:00 KO ホセ・ローマン(英語版) プエルトリコの旗 プエルトリコ WBA・WBC防衛1
40 1974年3月26日 2R 2:00 TKO ケン・ノートン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBA・WBC防衛2
41 1974年10月30日 8R 0:40 KO モハメド・アリ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBA・WBC王座陥落
42 1976年1月24日 5R 2:28 KO ロン・ライル(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 NABFヘビー級タイトルマッチ
43 1976年6月15日 5R 2:26 TKO ジョー・フレージャー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 NABF防衛1
44 1976年8月14日 3R 2:58 TKO スコット・ルドゥー(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
45 1976年10月15日 4R 2:25 TKO ジョン・デニス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
46 1977年1月22日 4R 2:34 TKO ペドロ・アゴスト プエルトリコの旗 プエルトリコ
47 1977年3月17日 12R 判定0-3 ジミー・ヤング(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
48 1987年3月9日 4R 2:47 TKO スティーブ・ゾウスキー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
49 1987年7月9日 3R 2:01 KO チャールズ・ホステッター アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
50 1987年9月15日 6R TKO ボビー・クラブトリー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
51 1987年11月21日 4R 2:23 TKO ティム・アンダーソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
52 1987年12月18日 3R 2:48 TKO ロッキー・セコルスキー(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
53 1988年1月23日 1R 0:45 KO トム・トリム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
54 1988年2月5日 5R 2:39 TKO グイド・トレーン イタリアの旗 イタリア
55 1988年3月19日 7R 1:51 TKO ドワイト・モハメド・カウィ(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
56 1988年5月21日 3R 2:07 TKO フランク・ラックス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
57 1988年6月26日 4R 1:36 TKO カルロス・エルナンデス  キューバ
58 1988年8月25日 2R 2:42 TKO ラディスラオ・ミハンゴス メキシコの旗 メキシコ
59 1988年9月10日 1R 2:59 TKO ボビー・ヒッツ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
60 1988年10月27日 2R 2:26 TKO トニー・フリランギ(英語版) トンガの旗 トンガ
61 1988年12月28日 1R 2:03 TKO デビッド・ジャコ(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
62 1989年1月26日 7R 1:47 TKO マーク・ヤング アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
63 1989年2月19日 3R 2:14 TKO マノエウ・デ・アウメイダ ブラジルの旗 ブラジル
64 1989年4月30日 5R 1:37 TKO J・B・ウィリアムソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
65 1989年6月1日 2R 終了 TKO バード・クーパー(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
66 1989年7月20日 10R 判定3-0 エヴェレット・マーティン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
67 1990年1月15日 2R 2:57 KO ジェリー・クーニー(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
68 1990年4月17日 4R 2:16 TKO マイク・ジェイムソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
69 1990年6月16日 2R 2:39 KO アジウソン・ホドリゲス(英語版) ブラジルの旗 ブラジル
70 1990年7月31日 3R 1:24 KO ケン・ラクスタ カナダの旗 カナダ
71 1990年9月25日 1R 2:59 KO テリー・アンダーソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
72 1991年4月19日 12R 判定0-3 イベンダー・ホリフィールド アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBA・WBC・IBF世界ヘビー級タイトルマッチ
73 1991年12月7日 3R 1:36 TKO ジミー・K・エリス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
74 1992年4月11日 10R 判定2-0 アレックス・スチュワート(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
75 1993年1月16日 8R 1:48 TKO ピエール・クッツァー(英語版) 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
76 1993年6月7日 12R 判定0-3 トミー・モリソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO世界ヘビー級王座決定戦
77 1994年11月5日 10R 2:03 KO マイケル・モーラー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBA・IBF世界ヘビー級タイトルマッチ
78 1995年4月22日 12R 判定2-0 アクセル・シュルツ ドイツの旗 ドイツ IBF防衛1・WBU獲得
79 1996年11月3日 12R 判定3-0 クロフォード・グリムズリー(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBU防衛1・IBA獲得
80 1997年4月26日 12R 判定2-1 ルー・サバリーゼ(英語版) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBU防衛2
81 1997年11月22日 12R 判定0-2 シャノン・ブリッグス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テンプレート

獲得タイトル

  • 全米AAU・ボクシング競技ヘビー級優勝(1968年)
  • 第19回メキシコシティーオリンピック・ボクシング競技ヘビー級優勝(1968年)
  • NABF北米ヘビー級王座
  • パンアメリカンヘビー級王座
  • IBA世界ヘビー級王座
  • WBU世界ヘビー級王座
  • WBA世界ヘビー級王座(1度目は防衛2度、2度目は防衛0度)
  • WBC世界ヘビー級王座(防衛2度)
  • IBF世界ヘビー級王座(防衛1度)

著書

  • ジョージ・フォアマン著/ジョエル・エンジェル協力 安部譲二訳『敗れざる者 - ジョージ・フォアマン自伝』、原題:"The Autobiography of George Foreman"、角川春樹事務所、1996年、ISBN 978-4894560062。

脚注

  1. ^ 『ボクシングヘビー級最強伝説』 ベースボール・マガジン社、2009年5月29日、105、109頁
  2. ^ a b c “チャンピオンは諦めない。フォアマンが挑む子どもたちの心”. 日経ビジネス. (2009年9月10日). http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20090903/204002/ 2014年1月25日閲覧。 
  3. ^ 『復活の研究』、251頁。
  4. ^ George Foreman is a mummy - Muhammad Ali The Greatest Scenes YouTube
  5. ^ Muhammad Ali's epic speech after beating George Foreman will get you seriously pumped GIVEMESPORT 2022年5月16日
  6. ^ “GRILLED KSI fighting two blokes in one night? Former heavyweight champion George Foreman once faced five boxers one after the other promising ‘nothing but violence’ in front of Muhammad Ali”. talkSPORT (2022年8月26日). 2023年12月22日閲覧。
  7. ^ “「『やればできる』と急かすのは、僕は嫌いです」 ~ジョージ・フォアマンの息子、再生教育を語る”. 日経ビジネス. (2009年5月26日). http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20090915/204779/ 2014年1月25日閲覧。 
  8. ^ Millionaire High School Dropouts Forbes 2010年1月30日
  9. ^ “I Wanted to Kill Muhammad Ali” – George Foreman on His Relationship With the Boxing Legend Before and After Finding Religion Essentially Sports 2023年6月16日
  10. ^ 原功 『ボクシング名勝負の真実 世界編』、ネコ・パブリッシング、2006年、194-195頁。

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、ジョージ・フォアマンに関連するカテゴリがあります。

外部リンク

  • The Official Site of George Foreman
  • ジョージ・フォアマン (@GeorgeForeman) - X(旧Twitter)
  • ジョージ・フォアマンの戦績 - BoxRec(英語)
前王者
ジョー・フレージャー
WBA世界ヘビー級王者

1973年1月22日 - 1974年10月30日

次王者
モハメド・アリ
前王者
ジョー・フレージャー
WBC世界ヘビー級王者

1973年1月22日 - 1974年10月30日

次王者
モハメド・アリ
前王者
マイケル・モーラー
WBA世界ヘビー級王者

1994年11月5日 - 1995年3月4日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
ブルース・セルドン
前王者
マイケル・モーラー
IBF世界ヘビー級王者

1994年11月5日 - 1995年12月9日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
マイケル・モーラー

1904: サミュエル・バーガー •  1908: アルバート・オールドマン •  1920: ロナルド・ローソン •  1924: オットー・フォン・ポラト •  1928: アートゥロ・ロドリゲス •  1932: サンチアゴ・ロヴェル •  1936: ヘルベルト・ルンゲ •  1948: ラファエル・イグレシアス •  1952: エドワード・サンダース •  1956: ピート・ラデマッハー •  1960: フランチェスコ・デ・ピッコリ •  1964: ジョー・フレージャー •  1968: ジョージ・フォアマン •  1972: テオフィロ・ステベンソン •  1976: テオフィロ・ステベンソン •  1980: テオフィロ・ステベンソン •  1984: ヘンリー・ティルマン •  1988: レイ・マーサー •  1992: フェリックス・サボン •  1996: フェリックス・サボン •  2000: フェリックス・サボン •  2004: オドラニエル・ソリス •  2008: ラヒム・チャムキエフ •  2012: オレクサンドル・ウシク •&nbsp 2016: エフゲニー・ティシェンコ •&nbsp 2020: フリオ・ラクルス

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