ガジ・ガジエフ

ガジ・ガジエフ
名前
ラテン文字 Gadzhi Gadzhiev
ロシア語 Гаджи Гаджиев
基本情報
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1945-10-28) 1945年10月28日(78歳)
出身地 ソビエト連邦の旗ブイナクスク
ユース
1959-1964 ソビエト連邦の旗スパルタク・ハサヴュルト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1964 ソビエト連邦の旗 スパルタク・レニングラード(ロシア語版)
1965 ソビエト連邦の旗スコロホート・レニングラード
監督歴
1973-1975 ソビエト連邦の旗 ディナモ・マハチカラ(ロシア語版)
1983-1985 ソビエト連邦の旗 ネフチ・バクー
1999-2001 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ
2002 日本の旗 サンフレッチェ広島
2003 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ
2004-2006 ロシアの旗 クリリヤ・ソヴェトフ
2007-2008 ロシアの旗 サトゥルン・ラメンスコーエ
2010-2011 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ
2012 ロシアの旗 ヴォルガ
2013 ロシアの旗 クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ
2013-2014 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ
2015-2018 ロシアの旗 アムカル・ペルミ
1. 国内リーグ戦に限る。2008年11月10日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

ガジ・ムスリモヴィチ・ガジエフロシア語: Гаджи Муслимович Гаджиевロシア語ラテン翻字: Gadzhi Muslimovich Gadzhiev1945年10月28日 - )は、ロシアダゲスタン共和国出身[1] の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴

ソ連時代

ダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国ブイナクスク出身[2]。スパルタク・ハサヴュルトでユース年代を過ごす[1][2]

その後、レニングラードの2クラブ、スパルタク・レニングラード(ロシア語版)とスコロホート・レニングラードでプレーするものの、1965年に極度の近視を理由に若くして現役引退した[1][2]

その後はスパルタク・ハサヴュルトでコーチ経験を積んだ後、1973年ディナモ・マハチカラ(ロシア語版)監督に就任[1][2]、1975年にはダゲスタンのリーグで優勝した。退任後はモスクワの大学で[1] スポーツ心理学とトレーニングを学び、教育学の博士号を取得。そのままモスクワに留まり1980年からCSKAモスクワでコーチとして活躍した[2]

ソ連/ロシア代表

一方、1978年からソビエト連邦代表スタッフ入りし、A代表や五輪代表のアシスタントコーチ、ナショナルトレセンの代表者やU-19およびU-16監督などを歴任する[1]

ソビエト連邦の崩壊後の1992年独立国家共同体(CIS)代表、1992年バルセロナオリンピックEUN代表、1992年からのロシアでも代表コーチの職にあり、20年近く代表スタッフとして活躍した[1]。その間コーチとして、1987年ワールドジュニアユース優勝、1988年欧州選手権準優勝、同年ソウルオリンピック金メダル獲得などに貢献した[1][3]

ロシア以降

1999年、当時トップディヴィジョン(2部リーグ)だったFCアンジ・マハチカラの監督に就任するといきなり優勝してトップリーグ(1部リーグ)へ昇格[1]。さらに翌シーズンには4位入賞を果たしてUEFAカップ出場権を獲得、同年にはロシア最優秀監督に選出された[1][3]

2002年、その実績を買われヴァレリー・ニポムニシから推薦を受け、Jリーグサンフレッチェ広島の監督に就任[3][4]。しかし自身初の海外での指揮であったこともあり、チームとのコミュニケーション不足からチーム方針の相違[注 1]や補強の失敗[注 2]や選手との軋轢[注 3]を生み、さらに主力の長期離脱[注 4]や不調もあいまってチームは下位に低迷した。同年7月、シーズン途中に事実上解任された[注 5][4]

2003年、プレミアリーグから1部リーグに降格した古巣・アンジの監督に復帰[1] するものの昇格を果たせず1年で退団。翌2004年からクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ監督を務め、同年のロシア・カップでは準優勝した[1]

2007年5月からサトゥルン・ラメンスコーエ監督に就任すると下位に低迷していたチームをいきなり5位にまで上げ、チームを初のUEFAインタートトカップ出場に導く。同シーズンロシア最優秀監督となる。翌2008年は下位に低迷し、8月にロシアカップで早期敗退したのを機に解任された[1]

2010年、7年ぶりにアンジの監督に復帰する。翌2011年1月、チームは大富豪スレイマン・ケリモフ(ロシア語版)がオーナーとなり、ロベルト・カルロスサミュエル・エトーらビッグネームを獲得、同年9月にチーム成績が平凡なことから監督にもビックネームを招集することが決定しガジエフは解雇された[10]

2012年6月、この年からリーグ秋冬制となるロシア・プレミアリーグのFCヴォルガ・ニジニ・ノヴゴロド監督に就任した[11]。同年12月、引き抜かれる形で同リーグのクリリヤ・ソヴェトフ監督に復帰した[12]

2013年8月、2年ぶりにアンジの監督に復帰[13]、4度目の就任となった。このシーズン、アンジは緊縮財政で挑んでおりエトオやウィリアンラッサナ・ディアッララシナ・トラオレなど主力が移籍売却された中での監督就任だった。結果、一度も浮上することなく最下位に沈み、シーズン終了後ファーストディヴィジョン(2部)に降格、2014年5月責任を取る形で辞任した[14]

2015年、FCアムカル・ペルミは成績不振からスラヴォルユブ・ムスリン(英語版)監督を解任し、後任としてガジエフが監督に就任した[15]

監督成績

年度 チーム 所属 大会名 試合数 勝点 勝利 引分 敗戦 順位 ナビスコ杯 天皇杯
2002 サンフレッチェ広島 J1 1st 8 7 2 1 5 -位 予選リーグ敗退 -

ギャラリー

  • 2008年サトゥルン時代
    2008年サトゥルン時代
  • 2010年アンジ時代
    2010年アンジ時代
  • 2012年ヴォルガ時代
    2012年ヴォルガ時代

脚注

[脚注の使い方]
注釈
  1. ^ チームは育成型監督を望んだがガジエフは補強でチーム作りをするタイプの監督だった[4]
  2. ^ ガジエフの判断により、前年度に活躍したコリカおよびオレグを退団させたことが同年末のJ2降格原因の一つと見られている[5]。さらにガジエフの進言によりミロビロングを獲得するも、目立った活躍はしなかった[6][7]
  3. ^ ガジエフのサッカーに一貫的な明確さがなく、どういうサッカーをすればいいのか選手のみならずコーチ陣も混乱していた[4]
  4. ^ 開幕直前に上村健一が怪我したことで計算できるCBがまったく居なくなってしまった[8]
  5. ^ 公式発表は養母危篤により帰国離脱[9]
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m “Гаджи Муслимович Гаджиев: досье” (ロシア語). sports.ru. 2013年8月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e “Гаджиев Гаджи Муслимович” (ロシア語). サトゥルン公式. 2013年8月22日閲覧。
  3. ^ a b c “ガジエフ氏の来季監督就任について”. サンフレッチェ広島公式 (2001年12月11日). 2002年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月22日閲覧。
  4. ^ a b c d “ガジエフ監督、退団へ”. 中国新聞 (2002年7月17日). 2002年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月22日閲覧。
  5. ^ 紫熊倶楽部』2003年1月号
  6. ^ “MFミロが退団”. 中国新聞 (2002年9月11日). 2002年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月22日閲覧。
  7. ^ “下田、DF陣の連係の悪さ指摘”. 中国新聞 (2002年3月9日). 2013年8月22日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ “攻撃的守り指示へ上村復帰 29日京都戦”. 中国新聞 (2002年9月29日). 2002年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月22日閲覧。
  9. ^ “ガジエフ監督の緊急一時帰国について”. サンフレッチェ広島公式 (2002年7月11日). 2003年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月22日閲覧。
  10. ^ “Третий уход Гаджиева” (ロシア語). gazeta.ru (2011年9月29日). 2013年8月22日閲覧。[リンク切れ]
  11. ^ “Гаджи Гаджиев назначен главным тренером нижегородского ФК "Волга"” (ロシア語). タス通信 (2012年6月7日). 2013年8月22日閲覧。[リンク切れ]
  12. ^ “Гаджи Гаджиев ушел в «Крылья Советов», досрочно расторгнув контракт с ФК «Волга»” (ロシア語). progorodnn.ru (2012年12月26日). 2013年8月22日閲覧。[リンク切れ]
  13. ^ “ФК «Крылья Советов» расторг контракт с Гаджи Гаджиевым из-за его ухода в ФК «Анжи»” (ロシア語). kommersant.ru (2013年8月8日). 2013年8月22日閲覧。
  14. ^ “Гаджиев: не ожидал, что «Анжи» продаст 14 футболистов основного состава” (ロシア語). gazeta.ru (2014年5月27日). 2014年6月7日閲覧。
  15. ^ “Гаджи Гаджиев возглавил пермский "Амкар"” (ロシア語). rg.ru (2014年12月30日). 2015年1月1日閲覧。

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、ガジ・ガジエフに関連するカテゴリがあります。

外部リンク

  • ガジ・ガジエフ - Soccerway.com (英語)Edit on Wikidata
  • ガジ・ガジエフ - FootballDatabase.eu (英語)Edit on Wikidata
  • ガジ・ガジエフ - WorldFootball.net (英語)Edit on Wikidata
  • ガジ・ガジエフ - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)Edit on Wikidata
  • ガジ・ガジエフ - J.League Data Siteによる監督データEdit on Wikidata
 
監督
{|

|-

||
先代
ドミトリー・チェリシェフ
|
FCヴォルガ・ニジニ・ノヴゴロド監督
2012年 -
| |
次代
n/a

|}

FCアンジ・マハチカラ歴代監督
  • ケリモフ 1992
  • ペトロフ 1993
  • アレスケロフ 1994
  • サファロフ 1994-95
  • マルカロフ 1995
  • マロフェエフ 1996-98
  • レシェトニャク 1998
  • シュビン 1998
  • レシェトニャク 1998
  • カジエフ 1999-2001
  • マルカロフ 2001
  • トカチェンコ 2001-02
  • マルケヴィッチ 2002
  • カジエフ 2002-03
  • ピスカリョフ 2003
  • レシェトニャク 2003
  • カジエフ 2003
  • マルカロフ 2003
  • クズネツォフ 2004
  • レシェトニャク 2004
  • ガリャーミン 2004-06
  • マルカロフ 2006
  • テトラーゼ 2007-10
  • アカエフ 2010
  • カジエフ 2010-11
  • ゴルデーエフ(暫定) 2011
  • クラスノジャン 2012
  • ヒディンク 2012-13
  • ガジエフ 2013-2014
  • タシュエフ 2014-2015
  • ショミン 2015
  • アガラロフ 2015-16
  • ヴルバ 2016
  • スクリプチェンコ 2017-
サンフレッチェ広島監督(2002年)
東洋工業
マツダ
サンフレッチェ広島