ウィリアム・ヘンリー・ホワイト
この項目では、イギリスの軍艦設計者について説明しています。王立英国建築家協会の元事務局長については「ウィリアム・ヘンリー・ホワイト (建築家)」を、19世紀のメジャーリーク選手については「ウィル・ホワイト」をご覧ください。 |
ウィリアム・ヘンリー・ホワイト(Sir William Henry White 、1845年2月2日 - 1913年2月27日)はイギリスの軍艦設計技師である[1]。
人物
イギリス海軍の主任造艦設計者ナサニエル・バーナビーの下で次席を務めた[1]。一時海軍を辞してアームストロング(後のアームストロング・ホイットワース)に入社し軍艦設計部長となり、多くの著名な軍艦、特に巡洋艦を設計した。ナサニエル・バーナビー退職に伴い1886年海軍に戻り設計主任官となり、ロイヤル・サブリン級戦艦、マジェスティック級戦艦等戦艦、巡洋艦など多くの軍艦を設計し、1902年に退官した[1]。1911年ジョン・フリッツ・メダル受賞。
1913年、死去。
出典
- ^ a b c 『日本戦艦物語I』p.59-61『戦艦史をかざる四人の造艦設計者』